そばを離れなかった看病人
「わたし、しんどい」のひと言がいちばん言えません
夜通し額に手を当てて、朝には何も言わなかった人。
ズバリ言うと
認めたくないかもしれないけど- 01人の痛みには先に気づくのに、自分のは後回しです
- 02全部やってあげたのに、感謝してくれる人がいないんですよね
この結果になった理由
ISFJこんな人です
病人のそばにつきっきりで、静かに看病していた人です。薬を煎じ、額に手を当て、夜を明かす。誰に気づかれなくても、恩に着せることもなく、黙々とやり遂げていたでしょう。明け方、冷たい水で手ぬぐいを何度替えたのかは、誰も知りませんでした。
前に出るより後ろで黙々と世話をする側でしたが、この人の手で起き上がれた人は実際に何人もいたはずです。それでも本人は、たいしたことだとは思っていなかったでしょう。ただ、そうするのが当然の務めでしたから。
理屈を考える前に、まず人を見ていました。誰が具合が悪く、誰が寂しがっているか、口に出す前に気づき、ルールよりあの人がいまどんな気持ちかを汲んで、そばに寄り添っていたはず。欠点がひとつあるとすれば、人の世話に追われて自分の痛みはいつも後回し。本当につらいときでさえ、つらいとなかなか言えなかったでしょう。このタイプのずいぶん古い弱点です。それでも、この人の静かな手当てで元気を取り戻した人は、一人や二人ではなかったはず。目立たなくても必ずいてほしい人、まさにそういう存在でした。
一人の人、一軒の家を長く守ってきたはずです。見知らぬ新しいものを探しに出るより、慣れたものを心をこめて世話しているときに安心し、いつも同じ場所にそのままいるのが落ち着いたでしょう。派手ではなくても、この人が抜ければ暮らし全体がよろめいたはず。いまも人の世話を焼いていて、自分の具合の悪さにはあとから気づくなら、その気質はかなり昔からのものです。みんなのお昼は気にかけるのに、自分のお昼は午後三時にやっと食べる、というのも同じくせ。目立たない世話のしかたもそのままなので、それまで何をしてきたかは、この人が一日休んでみて初めてわかります。休みをとった日になってやっと、給湯室のコーヒーを誰が補充していたのか、みんな知るんですよね。