旅先でのわたしISFP
ISFP
わたしのタイプ

歩いては立ち止まる感性派

写真を残さないのがかっこいいと思っています

名所の代わりに、気に入ったカフェで半日過ごす人。

ズバリ言うと

認めたくないかもしれないけど
  1. 01よかったのに、どこだったか思い出せませんよね
  2. 02いちばん気ままに旅したのに、残ったものはいちばん少ないですね

この結果になった理由

ISFP
エネルギー人の輪の中へひとり静かに
旅の感覚目の前の現実意味と雰囲気
決め方効率で気分で
スケジュール計画どおりその場のノリ

こんな人です

目的地より、その場の空気にしたがって歩きます。計画は薄くしておいて、歩いているうちに気に入ったカフェや川辺があれば、何も計算せずに長居する。有名なものを全部見られなくても残念ではありません。そもそもスタンプラリーをしに来たのではなく、その日の感覚を拾いに来たのですから。だから写真フォルダには、ランドマークの代わりに窓辺のネコ、カフェのコースター、古びたバスのつり革なんかが残ります。ほかの人が素通りしたものを、この人だけがじっと見つめているんです。

それは、ひとりだからこそできること。誰かと相談したり顔色をうかがったりする必要がないので、足の向くまま完全に自由で、いい瞬間を急かされずにじっくり味わえます。感覚が鋭いので、色や光、雨上がりの路地のにおい、お店から流れてくる歌を、人よりずっと深く感じとる。その鋭さこそが旅の材料です。団体ツアーのバスで運ばれていると、その感覚はなかなかスイッチが入りません。

旅の記憶がぼんやり残るのが玉にキズ。確かに特別な瞬間があったのに、それがどこだったのか、お店の名前が何だったのか、あとで思い出せないんです。感情は濃かったのに、記録がない。写真1枚でもひと言メモでも残すクセをつければ、その日の感覚があとでまたよみがえります。残すのを後回しにするのは、怠けているからではなく、いま感じていることを途切れさせたくないから。でもメモを1行書くのにかかる時間は、実際には10秒くらいです。名前も知らずに通り過ぎたあの路地がどこだったかは、その10秒がないと残りません。来月そのメモを開いてみたら、写真よりその1行のほうが、あの日をもっと正確に呼び戻してくれるはずです。

相性

ほかのタイプ

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